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インタビュー 仙台で暮らすネパール人座談会 (SENDAI Lifestyle 2021 Vol.1 の取材から)


 
年々増加している仙台のネパール人人口。留学生として来日し、卒業後は社会人として働いたり、ビジネスを立ち上げる人も増えていて、長期で暮らすケースも増えてきました。

在仙のネパール人の皆さんはどんな暮らしをしているのか。
SenTIA情報誌「SENDAI Lifestyle」の取材に、学生、社会人、主婦として仙台で暮らす、ネパール人の皆さんに集まってもらいました。普段の食事から、アルバイトや仕事のこと、コロナ禍での生活のことなど・・・・たくさんお話を聞きました。紙面に載せられなかった内容を、ブログでご紹介します(2020年12月5日 オンラインで取材)。

(左)シェルパ・ペンバ・チリングさん

来日2年目の日本語学校生。カトマンドゥ出身。母国で大学卒業後に来日。昼間は学校、夜はアルバイトの日々。

(中)ラマ・サビトリさん

来日8年目の社会人。カブレ出身。水戸の日本語学校→東北電子専門学校→株式会社ARCA(宮城県黒川郡)。仙台で夫と2人暮らし。

(右)ドゥワディ・バワニさん

来日13年目。チトワン出身。2児の母。子どもの病気治療のため来日。SenTIA等で通訳・翻訳者として活動。

 

-日本に来るネパール人が増えています。仙台に住んでいるネパール人も、1,653人(2020年4月末)です。なぜこんなに増えているのでしょうか?

[バワニ] 仙台は人が多過ぎない、自然も多いし静か。それがいいですね。

[ペンバ] 東京には兄がいますが、人が多いし電車も混んでいる。首都なので良いと思うけど、仙台の方がきれいな街で住むにはいいと思います。

[ラマ] 仙台に留学生が増えているのは、専門学校に進む人が増えていることもあると思います。一時期、仙台の入管だと、家族滞在のビザが取りやすかったこともあると思いますよ。

自分の周りでは、留学生として来日して就活も頑張って、卒業後は家族を呼び寄せて暮らしている人も多い。そういうネパール人が増えてきたことで、ただアルバイトをして過ごすのではなく、勉強も頑張って資格も取って就職を目指そう、という留学生が増えていると思います。仙台だと、東京より生活費も安いし、食べ物もおいしい。
そういう先輩たちが多くいる、ということも、仙台にネパール人が増えている理由だと思います。

 

-ネパールの人たちで集まる時はありますか?グループやイベントはありますか?

[ラマ] コロナの影響で、最近はやってないですね。友だち3~4人で集まるぐらい。
でも去年までは、女性たちで民族衣装を着て集まったり、ダサイン(9月〜10月頃に行うお祭り)で集まったりしていました。日本にいても自分たちの文化は忘れていないです。

[バワニ] 個人的に、仙台でネパール人の大きなコミュニティを作るのは難しいなと感じています。学生が多くて、家族がいる人はまだ少ない。学生たちは、自分たちの学校だけのグループになってしまって、他の学校とはあまり一緒にならない。お祝いなども自分の知っている範囲の仲間だけで集まってやる感じ。仙台のネパール人がみんな集まってお祭りをやる、というのはまだないですね。

[ラマ] 仙台にもネパール人協会みたいなものはあるんですよ。東京にある組織のブランチ(支部)という感じだけど。でも仕事をしている人たちは、時間も余裕もないので、あまり活動には参加できないね。学生たちも、朝9時から学校行ってその後アルバイト、家に帰ってきたら勉強もしなくちゃいけない。みんなネパール人同士で集まりたい気持ちはあるけど、難しい。
それでも、在仙のネパール人が誰か病気になったり亡くなったりしたら、チャットやメールでお知らせが回って、みんなで助け合います。

去年、仙台のネパール人の友だちが1人亡くなったんですが、お葬式や母国に帰すための費用が必要になった。その時も仙台にいるネパール人が皆助けてくれて、お金もたくさん集まったんです。一番お金を出してくれたのは学生さんたちで、みんなも生活は厳しいけど、学校や友だち同士などのグループでお金を出し合ってくれて、とても嬉しかった。なので、みんな気持ちはあるですよ。でも余裕がない。

 

-毎日の食事はどうしていますか?

[バワニ] うちは親と子どもで好みが違うので大変です。私と夫はネパール育ちだからネパール料理が食べたい。でも子どもたちは小さい時に日本に来て日本育ちだから、日本の料理が食べたい。お祭りやお祝いの時はネパール料理にするけど、あとはいろいろです。一日の中でも朝は日本の料理にして、夜はネパール料理にするとか。ネパール料理は野菜が多いし、野菜と肉を一緒に料理にしない。子どもたちは肉のカレーは好きだけど、野菜だけのカレーは嫌い(笑)。

[ペンバ] 新しい料理を食べたり、調べたりするのも好きで、和食も好きです。でも和食を作るのは難しいので、食べるだけです。毎日の食事は、市内にあるネパールやバングラデシュの雑貨店などで材料を買って、ネパールの料理を作って食べています。

[ラマ] 私も、ペンバさんと一緒ですね。食事はほとんど自炊で、ネパール料理を作って食べています。お昼も、自分で作ったお弁当を持っていきます。カレーとかですね。(日本に住んで何年にもなるけど)まだ日本の料理、食事には慣れないです。日本の味は辛くないですよね(笑)。日本のカレーにも慣れようと思って、チェーンのカレー屋さんに行って、それなりに辛いカレーを頼むんだけど、それでも甘く感じてしまいます(笑)。
スパイス、辛いのが好きなんですよね、日本の料理はほとんど甘く感じてしまう。でも日本食も好きなものはあって、紅じゃけは食べられます、大好き。あとお赤飯とか。

[バワニ] ネパール料理は、地方によって違います。料理自体は一緒でも、作り方が結構違うし、味も違う。例えば、私の出身地の東部の方では、そんなに辛いのは食べないですよ。お米も違う。日本と同じような小さい米を食べる地域もあれば、細長いタイ米を食べる地域もある。それといろいろな豆を使います。日本にはない豆もありますね。

[ペンバ] ネパール料理は、中国とインドのミックスという感じ。似たような料理がいろいろあります。

[バワニ] モモ(餃子のような料理、水牛の肉を使うものが多い)は、昔チベットの人がシルクロードを通ってネパールに来て、カトマンドゥに立ち寄った時に作って食べていたのを、現地の人たちが広めたと言われています。カトマンドゥに行くとモモがすごい人気だけど、私の地元のチトワンではそんなに食べない。


モモ(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

食べるものは、宗教や民族によって違いますね。私はヒンドゥー教でバウン族。カトマンドゥのネワール族は水牛を食べるけど、チトワンではダメ。だから昔は、私の地方ではモモは隠れて食べるもの、という感じだった。今は野菜やヤギ、鶏肉のモモも出来て食べるようになったけど。

[ラマ] 簡単にいうと、バワニさんのように先祖がインドの方から来た民族と、私たちのようにチベットの方から来たモンゴル系の民族がいます。顔だちも違います。それでカーストがあって、食べ物の決まりなども守らないとダメでした。バウン族は水牛は食べないとか。でも今は違いますね。

[バワニ] そうですね。前はバウン族は肉を食べなくて(それで需要が低かった)、だから肉の値段は安かったんですね。でも食べる人が多くなって、そのせいで値段が上がったと言われています(笑)。

[ラマ] 時代が変わって、習慣も変わってきているんですよね。

[バワニ] 昔は、バウン族はお酒もダメでした(今は飲んでいる)。私のおじいさんの時代だと、お酒を飲んだら家に入れない。

[ラマ] 私たちの民族だと、みんなお酒は飲むんですね。子どもの時から飲む。

[バワニ] 水牛はみんな食べるようになったけど、牛はダメです。法律でダメ。牛は神様なので。水牛は悪魔だから食べてもいいよ、みたいな感じ。

[ラマ] 昔はこういう違いで民族同士で喧嘩になったんだけど、今は変わってきました。

 

-日本人に知って欲しい、ネパールのことはありますか?

[ペンバ] ネパールには、いろいろきれいなところもあるし、面白い文化もありますね。

[バワニ] んー、でもあまり若者向けにはないかな(笑)。ネパールは山の国だから、どこに行っても山。エベレストは有名だけど、ネパールの人も皆行っているわけじゃない。日本に来て「ネパール人だから、エベレスト登ったことある?」って言われるけど、実は私もあまり知らない。たくさんの民族が暮らしているから、文化は豊かだけど・・・。正直、若い人に受けるようなものはないと思う(笑)。

[ラマ] エベレストには、日本人もたくさん来ますね。バワニさんが言ったように、ネパールは山の国で、子どもの頃は学校に行くにも、山を登って下ってと、やっていました。確かにあまり若者受けするものはないけど、これからの時代は自然がたくさんある場所も、若者に人気が出るんじゃないかな、観光として。それとネパールは、人の心が温かいし。

[ペンバ] 世界には、標高8,000メートルを超える山が全部で14あって、そのうちの8つはネパールにあります。なので、エベレストだけじゃなくて、たくさんの有名な山があります。

[バワニ] 日本だと富士山が一番高い山だけど、山の周りに人が住んでますよね。ネパール人からすると、そういう山はあまり高く思えない。本当に高い山には、その周辺でも人は住めないから。

[ラマ] 中部の街ポカラは、自然がきれいな観光地ですね。

[バワニ] 私の出身のチトワンも、野生動物が生で見られます。象に乗って山を見たり、サイとかトラとか。カトマンドゥは首都で一番大きい街だけど・・・、旅行では観て面白いところはないと思うなあ。人が多いのと、昔のお寺が多い。昔はカトマンドゥが発展しないのは「お寺が多いので、それを壊して道路などを作って開発できないからだ」と言われたりしていました。

[ラマ] 今は大きい道もできましたよ、大丈夫です!(笑)2015年の大地震があってから、カトマンドゥも変わってきました。

 

-今年はコロナウイルスで大変です。学校の勉強、アルバイト、仕事、毎日の生活で変わったことは何ですか?

[ペンバ] 留学生の生活に、とても影響がありました。学校に行けなくなって、オンライン授業になったり。勉強は、オンラインで不便になっても自分が頑張ればいいですが、アルバイトの時間がすごく減ったのは困りました。生活が難しくなりました。私自身は、そんなにアルバイトも減らなかったので大丈夫でしたけど、周りにはすごく困っている人もいます。日本政府が出してくれた10万円(特別定額給付金)が、とても役に立ちました。今は学校にも普通に通っていて、明日はJLPT(日本語能力試験)の試験があります。

[ラマ] 私は、旦那が食品加工の会社で働いていたんだけど、やっぱり時間を大分減らされました。それで大変だったけど、私の会社でアルバイトをさせてもらえるようになったので助かりました。母国の両親にもお金を送らないといけないし、私のお金だけで2人で生活するのは難しい。幸い、私の会社はコロナで大きな影響は受けなかったけど、友だちや知人はみんな大変です。

学生たちはアルバイト先でも大変です。留学生の間でコロナのクラスターが出てしまってからは、アルバイト先から「あなたたちは来ないで」「休んで」と言われてしまったり。本当に学生たちは大変。政府からの10万円は役にたったと思うけど、実際はすぐに無くなってしまう。

[バワニ] 私が聞いているのは、レストランで働いた人たちがすごく困っているという話です。今は休業しているレストランも多いし、そこで働いているコックさんたちは契約も在留資格の問題もあるので、別の店で働いたり別の仕事ができるわけではない。それで生活がすごく苦しい。

 

-ペンバさん、アルバイトのことを教えてください。

[ペンバ] コンビニのアルバイトをやっています。夜勤です。コンビニの仕事は、以前やっていた工場の仕事と比べると簡単です。日本に来たばかりの時は、学校から紹介されて5カ月ぐらい工場で働きました。その後、自分でコンビニに電話をかけて、面接を受けて合格しました。工場は同じことをずっとやるので、それがとても大変でした。コンビニだと、品出ししたり、レジをしたり、いろいろやることがあるので、時間が経つのも早い。

コンビニの仕事では、いつも日本人と一緒に仕事をします。仕事を始めた頃は、いろいろ覚えるために他の人とたくさん話をしました。工場の仕事と比べると、日本語を覚えるのにも役に立ちます。最近は慣れたのであまり聞くことがなくて、そんなに話もしなくなったかな。怒られることもたくさんありましたけど、店長も仲間もとてもやさしくて、いろいろお世話になっています。最近は間違いも少なくなったと思います。


休日に友人と過ごすペンバさん

 

-学校を卒業したら、どうしますか?将来はどうしますか?

[ペンバ] 日本語学校が終わったら、専門学校に入りたいです。将来のことはまだそこまで考えてないですけど、日本で働きたいと思っています。日本のいい会社に入りたいですね。そのために日本語を上手くならないと。今の日本語レベルではダメで、どうしようと思っています・・・。特に漢字が難しいです。

 

-ラマさんは、留学生から社会人になりましたが、アルバイトで働くのとは違いますか?

[ラマ] 学生時代は私もアルバイトで失敗したことがあります。でも日本人は、本当にわからないことは、やさしく教えてくれるのでいいです。日本語があまりわからない時に、お客さんから「(コーヒー)三つ」と言われたんですが、水を持っていってしまったんですね。「みっつ」と「みず」の区別がつかなかった(笑)。その時も、お客さんは怒らず笑って許してくれました。

今は言葉は出来るようになりましたが、やっぱり会社での仕事は難しいですね。すべてゼロから覚えなくてはいけないし。日本のやり方、例えば10分前に行動する感覚なんかにも合わせないと。

社会人になって、学生時代に教えてもらったことが役に立っていると感じます。私はネパールの親のしつけが厳しかった方ですが、水戸の日本語学校と仙台の専門学校の先生たちもすごく厳しかった。ちょっとでも授業をさぼったり、話を聞かなかったりしたら、先生たちにすごく怒られましたが、それが大切だったと思います。そうやって身に着けたものがなかったら、日本人と一緒に働くのが難しかったと思うので。

働いてる会社は、黒川郡にある株式会社ARCAです。専門学校の時にインターンシップをして、卒業後に入社しました。もうすぐ3年目になります。この会社では今、14か国の人が働いています。たぶん宮城県で一番外国人が働いている会社じゃないですか。役職がある人たちの中にも外国人がいます。係長は同じ専門学校出身の元留学生だし、部長にも外国の人がいますね。


ラマさんが勤める株式会社ARCAの事務所で。各国の国旗が飾られている。

 

-日本人の社員と交流はありますか?会社が終わった後や休日に、食事や遊びに行ったりしますか?

[ラマ] 交流は・・・まだあまりないですね。もちろん会社の中で仕事の話はしますよ。本当は友だちにもなりたいんだけど、自分が気にし過ぎて、まだ壁がある感じですね。前にアルバイトをしていたお店の店長とは、SNSで繋がっていたりはしますけど。

 

-これからのことは、どう考えていますか?

[ラマ] うちの会社では太陽光製品を扱っていますが、将来的にはネパールでも広めていくことが出来たらと思っています。あとは、ネパールと日本の懸け橋なりたいと思っています。

 

-バワニさん、子どもたちのことや、日本での子育てについて、教えてください。

[バワニ] 子どもを日本に連れて来た時は、言葉もわからないし大変でした。でも子どもたちは、日本語を覚えるのが早かったですね。親の私たちは遅くて・・・。子どもたちのためにも、他のお母さんと仲良くならないといけないと思って、もっと周りと関係を作りたかったけど、何を話しているのかわからなくて難しかった。

学校にお弁当を持っていかせる時も、私は日本の料理がわからなかったから、ネパール料理を持たせたんですね。でも、子どもたちはそれが恥ずかしくて、みんなの前で食べることができなかったり・・・ということが結構あって。

だけど、学校の先生たちがすごくサポートしてくれて、それがラッキーでした。先生が間に入って、私を他のお母さんに紹介してくれて、ママ友もできました。

言葉の問題だけじゃなくて、日本とネパールの子育ての違いにも戸惑いました。ネパールだと子どもが悪いことをしたら、叩いても大丈夫。でも日本に来てからは、学校でいろいろ覚えてきた子どもたちから「叩いちゃダメ」と言われたり(笑)。
本当にいろいろありましたね。

 

-10年前に来日した時と今を比べて、仙台や日本が変わったと思うことを教えてください。

[バワニ] 私たちが来た時、仙台に住んでいたネパール人は全部でも80人ぐらいかな。みんな、お互いを知っている感じ。仙台にいるネパール人が皆集まってお祭りをしたりしてました。今は千人以上もいるから、ネパール人といってもお互い知らないですね。

 

-バワニさんは、通訳や相談の仕事で仙台で暮らすいろいろなネパール人と会うことが多いですよね。ネパール人が日本で暮らす時、大変なことは何ですか?どんなことが課題ですか?


SenTIAのコミュニティ通訳サポーター研修会で学ぶバワニさん(左下)

[バワニ] 今は、知人や家族が日本に来ると、その流れで「自分も日本に行ってみよう」という人が多くなっていると思います。そういう人たちは、あまり日本のことを調べていなくて、正確な情報が伝わっていない。良い話ばかり聞いている。例えば「日本に行って働けば、すごくお金がもらえるよ」みたいな。でも日本で生活するには、出費だってたくさんある。そういうことはみんな言わないし、わからない。だから、日本に来て「こんなに物価が高いなんて思わなかった」「こんなに大変だとわかってたら、日本に来なかった」という人もいます。

やっぱり、「日本でちゃんと勉強をしよう」という真剣な気持ちで来た人たちは、頑張って、成功していると思います。逆に、単純にお金を稼ぎたいという思いだけで来た人たちは、ネパールでしてきた借金などで、苦しんでいる人がいますね。今はコロナもあって、ホテルとかレストランで働いている人は特に困っていますよね。

[ラマ] 同じネパール人でも、お店を経営している人は何とかなっているけど、雇用されている人はお金がもらえなくなったとか結構聞きますね。

それと、日本の日本語学校に入るためのお金もすごく高くなっていますよね。それで来日してから大変になる。私が来日した頃は、100万円ぐらいだったけど、今は200万近いとも聞きます。日本に行く前に通うネパールの学校では、「日本に行けば、1カ月でこれだけ稼げるよ、大丈夫」という良い話ばかりして、アルバイトは週に28時間だけとか、いろいろな制約の話は伝えない。

「日本に行っている人が多いから、私もいきたい」という軽い感じの人には「ちゃんと考えてみて」というんだけど、「あなたは日本で上手くやっているじゃない」と言われる。

[バワニ] 本当にそう。「日本での生活はいいことばかりじゃないよ、いろんなことがあるから」と言っても、「あなたたちは上手くやっているんでしょ、なんでそんなこと言うのよ!」という感じで、ぜんぜん聞かない。「嘘言っているんでしょ!」みたいな(笑)。

日本に来た人たちには、国によって文化が違うということも、ちゃんと理解した方が良い。ネパールだと、喧嘩すると手が出たりするのは普通。でも日本は違う。

[ラマ] ネパールだと、人が集まって盛り上がっちゃうと手も出ちゃう。ネパールだと、それで大事にはならないけど、日本だと警察とか呼ばれちゃうし。

[バワニ] 本当はSenTIAとか多文化共生センターとかに行って、いろいろと教えてもらえればいいし、私もそう伝えているんだけど、みんな毎日の生活で忙しくて来ないね。みんな目の前の生活のことだけ、勉強、仕事、あとは家で寝る(笑)。

[ラマ] 実は私もよく知らなかったですね。

-これからのこと(自分のこと、家族のこと)は、どう考えていますか?

[バワニ] 子どもたちは日本で育って、(アイデンティティ的に)日本人になっちゃった。これも文化的なことなんだけど、ネパールだと母親は子どもと一緒に暮らす文化があるから、私は子どもたちとずっと一緒にいたい。だから、これからも日本で暮らしてもいいと思ってる。でも、子どもたちは日本的な考えで、「大人になったら別々に暮らすでしょ」って。だから将来は別々(子どもたちは日本、親はネパール)かもしれない、と思って寂しいかな(笑)。

 

(2020年12月5日 オンラインで取材)

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